昨今、世界中で楽しまれているワイン。何故ここまでグローバルな市民権を獲得できたのでしょうか。第一に考えられるのが、ワイン(葡萄酒)と言われるものは、人間がさほど手を加えなくても、原料のぶどうさえあれば簡単にできるという点です。完熟ぶどうが圧力によって潰れると、果皮に自生する酵母が果汁と接触して発酵がはじまります。そう、太古に人類は自然の産物を発見したのです。その後、野生のぶどうを用いてワインを造り、農耕時代に入るとぶどう栽培も手掛けるようになりました。ワイン醸造はいつ、どこではじまり、どのように世界に広がっていったのでしょうか。今回はワイン史を紐解いていきましょう。
BC6000~7000年、今からおよそ8000〜9000年前、メソポタミア(現在のイラク、シリア一帯)が、ワイン発祥の地と言われています。世界4大文明の最古であるティグリス、ユーフラテス川流域でメソポタミア文明が起こりました。メソポタミアはギリシャ語で「川の間の地域」と呼ばれています。このティグリス、ユーフラテス川と言う2つの大河を利用し灌漑農業が盛んとなり、次第に都市国家が形成されていきました。
BC2500年のギルガメッシュ叙事詩には、ワインに関する最も古い文献が、粘土板として残っています。ウルクのキルガメッシュ王が、大洪水に備えて作らせた方舟の船大工にワインを振る舞ったという記載があります。また、アルメニア(トルコ東部、イラン北部)の洞窟からは、6100年前に使われていたとみられる世界最古の醸造施設跡も見つかりました。50リットルの発酵および貯蔵用の容器や枯れたぶどうの木、皮、種なども出土しました。周囲には墓が点在していることから、ワインは儀式に使われていたものと推測されます。精神文化と共にワイン文化も発達して古代オリエントへと(中東〜中央アジア)広がっていきました。
BC2700年頃になると、ビブロス(現在のレバノン)などの沿岸の輸出港から、地中海の島やマグレブ諸国への貿易が行われるようになりました。エジプト王朝(BC3100~1500)が栄えた時代には、フェニキア商人によりワインなど(ヒト、モノ)の交易が盛んになりました。エジプト第一王朝以降の壁画には、ぶどう収穫や醸造の様子、素焼きのアンフォラ、圧搾機なども描かれています。ただ、当時はワインは高級品でした。一般庶民のビール(古代エジプトではお湯の入ったアンフォラにパンを浸し、数日間かけて発酵させてビールを造っていた)とは異なり、ワインはファラオや上流階級向けの高貴な飲み物でした。
BC1000年にはフェニキアのワイン商人により、エジプトからギリシャへワイン造りがもたらされました。ギリシャ神話の酒神ディオニソス(ローマ神話ではバッカスと呼ばれていた)は豊穣の神でもありました。人一倍の信仰心が厚かった古代ギリシャ人は、ワイン造りにも精を出しました。その時代の文学、詩、演劇、音楽、建築などは色濃くワインの影響を受けています。彼らが嗜んでいたワインには残糖があり、アルコール度数は低く、それはジュースのようなものでした。そのため、ワインは水で割って飲むのが一般的でした。ギリシャでは砂糖や蜂蜜などの甘味料、オリーブオイル、小麦粉、海水、あるいは松脂などの香料(白ワインのレッツイーナが有名ですね)を加えて楽しまれていました。こうした薬用酒のような飲み方は、今日まで受け継がれています。
BC6年には古代ギリシャ人により、イタリアのローマにワインが伝わりました。BC8年にローマ帝国が築かれ、AD100年には帝国の拡大に伴いワインも大きく広がりをみせました。新しい領土に文明を定着させるのが目的で、教会の建設と同時に国教であるキリスト教がヨーロッパ全土に伝播されました。
イエスキリストが「パンは我が肉、ワインは我が血」と呈したことから、ワインはキリスト教のミサに必要不可欠なもの、また神聖なものと位置付けられるようになりました。教会や修道院によりワインの生産量も上がり、宗教の広布と共にワイン造りも伝えられました。この時代からワインは混ぜ物なしのストレートで飲まれるようになりました。しかし儀礼用のため、日常で市民に楽しまれるようになったのは、中世に入ってからになります。またこの頃、保管や運搬に使用していた容器【アンフォラ】の代わりに、【オーク樽】が使われはじめました。
ローマ帝国が没すると、時代は中世へと移り変わります。15世紀半ばから17世紀半ばまで、ヨーロッパの列強国は新天地を求めて、こぞって大海原に繰り出しました。大航海時代の幕開けです。北米(1769年)、南米(1500年代半ば)、オーストラリア(1788年)、ニュージーランド(1819年)、南アメリカ(1655年)など植民地になった国々では、キリスト教の勢力が後押しして、次々にワイン造りが取り入れられました。※( )内はワイン用のぶどうが植樹された年です。日本では1870年に山梨の甲府で日本初のワイン造りが行われたという記述が残っています。こうしてヨーロッパの旧世界から、新世界へとワインが拡大していきました。 16世紀から18世紀になると宮廷文化が花開きました。優れた芸術や文化を中心に収め、美食にもワインが求められました。
ボトルを表すブテギュ(後のBouteille 仏)は、13世紀頃から樽からくみ出すカラフとして使用されていましたが、17世紀末には保存や運搬として用いられるようになりました。また、コルク栓も発明されました。
19世紀後半からワイン造りは苦難な道を突き進みます。うどんこ病、フィロキセラ(ぶどう根アブラムシ)、ベト病の被害によりヨーロッパの1/3の畑が壊滅的な状態になりました。志の高い造り手が持ち直し20世紀前半(1935年)には、世界に先駆けてフランスでワイン法が制定され、各国もそれに倣いワイン造りの基盤が整備されました。2000年に入り栽培や醸造においても、 技術の進歩に拍車がかかり、今や生み出せないワインはないと言われています。昨今の温暖化などの地球環境の変化にも向き合いつつ、各国、地域で良いものが造られ続けています。
このように大昔からワインは人類と密接に関係してきました。文明のあけぼのにはじまり、宗教の伝播、領土の侵略などの歴史的背景に絶大な影響を受けています。長い間かけてその土地の風土や気候に適した品種を選定し、栽培や醸造方法の改良改善を試み、より良いものを生み出そうと努力を続けてきました。それによって今や世界中で気軽に楽しめる嗜好品となっています。
何故ここまでグローバルになったかにもう少し付け加えるとするならば、ぶどうが世界で最も多く栽培されている果実であること、そして造り方が非常にシンプル(原料もぶどうのみ)であることを挙げたいと思います。さらにもうひと言、仲間と酌み交わすワインは最上級の味で、古今東西、いつの時代も人々を笑顔にしてきたからではないでしょうか。(2016/03/28)
《参考文献 》
ワイン物語 芳醇な味と香りの世界史・上/ヒュー ジョンソン
ワインという名のヨーロッパ ぶどう酒の文化史/内藤道雄
ワインの文化史/ガリエ ジルベール