はじまりは2012年の冬でした。それまで7年勤めていたANAの国際線CAのキャリアに幕を下ろしました。人気企業の花形職業です。家族(親)を筆頭に「勿体ないよ」と反対意見もチラホラありました。しかし思いとどまることなく決断したのは、他ならぬワインに恋をしたからでした。ワインというものは少し関係を持ってみたら、まるで人間のようで、はたまた誰かの人生のようで、それは非常に面白く、興味を引かれるのにそう時間はかかりませんでした。知れば知るほどのめり込み、好奇心と探求心に駆り立てられた私は、グラスの中の1杯だけに満足できる筈がありませんでした。ならばいっそのことワイン産地に赴いてみようと29歳の決意です。
その春、就労ビザを握りしめ渡仏しました。ワイン造りを学びたいとワイナリーで研修生(スタジエ)を希望してみるはものの、就職先はなかなか見つかりませんでした。語学学校に通い1日8時間、フランス語を身に着けるところからのスタートです。その数か月後には仏文で履歴書を作成して1000ヶ所のワイナリーに送りましたが、醸造学部を卒業したわけでも、スタジエの経験があるわけでもなく、フランス語すらままならない私は、ただ無力な日本人であることを痛感しました。その上、外国人短期労働者であることに加え、女性ということがさらに輪をかけて就職を困難なものにします。そう、力仕事を必要とするワイン造りの世界では、女性であることは不利にしか働かなかったのです。刻々とむなしく時間だけが過ぎていきました。
ぶどうの収穫時期だけ手伝いをすることはできましたが、ワイナリーで通年働くことはそう易々と受け入れては貰えませんでした。折しも、ソムリエコンクール優勝の経歴を持ち、25年間ワインスクールの講師も務めるAlain Segelleと出会い、日夜、連れられた試飲会では、一生分のワインとも言えるほどの沢山のワインを試しました。おかげさまでワインの利く力は一層の磨きがかかり、各種イベントの手伝い、メダルの審査員を担当する機会にも恵まれました。同時に熱烈なナチュラルワインラヴァ―の彼から自然派ワインの真髄も教わりました。この時期から「工場ではなく、畑で造られるワイン」「工業的ではないワイン」を好むようになったと記憶しています。
1年間のフランス滞在中に東欧を周遊した際、今後の人生を変えるであろう出来事がありました。イタリアの東部に位置する小国、スロヴェニアに訪れた時のことです。首都リュブリャナのオーガニックショップで、偶然にも手にしたワインに感銘を受け、すぐさま生産者を訪問しました。スロヴェニアでワインが造られているなど聞いたことがありませんでした。国としてもワインとしても知名度が低い産地です。その反面、生産者のパッションは人一倍ありました。ワイン造りに熱意を持ったひた向きな姿、そして人を喜ばせたいという想いに心打たれました。スロヴェニアワインを私だけでなく皆様にも楽しんで貰いたい、地産地消されるワインを日本でも広めたい、生産者にはワインを造り続けてもらいたいと考え、帰国後は輸入業をはじめようと決意します。
しかしながら、輸入、卸売、小売業の知識はもとより、実務経験、酒販免許、資金、仕入先のコネクション、販路とビジネスをはじめるのに必要なものが全て欠けていました。呆れるほどのないもの尽くしです。猛勉強の末、わずか帰国後ひと月で、365wine株式会社の設立が叶いました。会社ができたからと言って、一筋縄でいくはずがありません。酒販免許がないとワインは1本たりとも販売できないのです。卸売、小売、インターネットを網羅している最強の酒販免許を取得しようとしていたので、ある時、税務署の職員にこう言われました。「実務経験のない方が、最も難しい酒販免許取得の申請をするとは前代未聞です。貴方に輸入業ができることを証明する、裏付ける何かを提出して下さい」と。そうなのです。国から免許が下りない可能性が十分あったのです。万一、許可が下りなかったら、仕入れ済みの6000本のワインは、毎日飲んでも16年半の歳月を要します。「ああ、どうしよう」とならないのが私の強みです。そうなった場合は、自身で飲んだら済むだけのこと。全く問題はないと自身に言い聞かせます。免許取得までの3か月半、そのように覚悟を決めたことにより、幾分か気持ちが軽くなりました。9月半ばとうとう免許が下り、輸入ワインが販売可能となりました。この時の喜びはひとしきりです。
こうして現在に至るのですが、もしワインに恋をしなかったら、航空会社を辞めることも、フランスに行くことも、インポーターになることもなかったでしょう。ワインが私の人生の舵を180度と大きく変えたのです。沢山のワイン産地の中で、スロヴェニアを選んだのはいくつかの理由があります。その中でも人と食は要です。ワインには造り手の人となりが表れます。「この人が造ったワインだからこうなる」と飲んで感じることができます。まじめでシャイで勤勉なスロヴェニア人の特徴がワインにもしっかりと出ています。ビジネス云々という前に、人として付き合うならスロヴェニア人。それだけ情の深い人間性、信頼のおける人たちです。またスロヴェニアワインは私たちが普段食べている家庭料理と相性が良いです。日本では和食以外に世界各国の料理が楽しまれています。醸した味わいと豊かな酸が持つ魅力的なワインは、そんな多様性のある食卓に上手く寄り添ってくれます。食とワインが美しい調和をみせます。豊かな食文化は、そこに暮らす人々の心の豊かさにも比例します。美味しい食とワインは人を笑顔にします。
まもなく10年目を迎えます。これからもワインで貴方の毎日を笑顔にし続けたいと思います。
大野みさき